女子陸上の飯田怜選手がかわいいと評判です。
女子陸上競技の実業団チームとしては歴史の浅い岩谷産業所属。2019年が入社2年目のシーズンとなります。
そんな飯田選手の知名度を挙げるきっかけとなったプリンセス駅伝での骨折・転倒の顛末。そして手術とリハビリを経た現在の状況をご紹介していきたいと思います。
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飯田怜プロフィール
引用:https://running.iwatani.co.jp/member/281/
名前 : 飯田怜(いいだれい)
生年月日 : 1999年
出身 : 熊本県上益城郡甲佐町
身長 : 165㎝
中学 : 甲佐中学校(熊本県)
高校 : ルーテル学院高等学校(熊本県)
所属 : 岩谷産業
種目 : 中距離・駅伝
飯田怜がかわいい!画像はこちら!
飯田怜選手がかわいいと評判です。
生年月日については、1999年生まれということしか判明していませんが、20歳になったかもうすぐなるかという年齢で、若さがはじけています。
そんな飯田選手の画像をいくつか集めてみました。
引用:https://entamescramble.com/6689.html
丸い顔でぷるぷるしたほっぺた、そして大きな目。まさに「可愛い」という言葉がぴったりな顔立ちですね。
こちらはプライベートのお姿ですね!右が飯田選手です。
こちらは左ですね。ホントにかわいいですね!
チームブログからこんな画像も見つけました。
引用:https://running.iwatani.co.jp/blog/1096/
出身地でもある熊本県のゆるキャラ「くまモン」といっしょですね。
ゆるキャラよりもかわいいかも!
飯田怜の骨折・転倒の顛末とは?
飯田選手にアクシデントが起こったのは、2018年10月21日に福岡県の宗像市と福津市を舞台にして行われた、第4回プリンセス駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝予選会)でのことでした。
1区を務めた大同美空選手が区間3位と好走する走りを見せながら、リレーゾーンに出ておらず、何人かの競技者に抜かれ、慌ててスタートをしていくというシーンもあり、何か波乱の予兆があったのかもしれません。
そして、それを受け2区の3.6kmを任さられていた飯田選手ですが、スタート前、右足に多少の痛みを抱えていたと言います。
それでもレース中盤までは2位集団の中でレースを進めており、レース終盤でラストスパートがかけられるまでは、集団から大きく遅れていくようなことも無く走っていました。
ところが、中継所まであと残り200m程度という襷リレーを目前にしたところで、突然転倒してしまいます。
立ち上がりもう一度走ろうとしますが、上手く立ち上がることが出来ません。その後、反対側の左足だけでということも考えたと言いますが、ずっと片足でいることも出来ず、どうやったら前に進めるかということだけを考えた飯田選手は、四つん這いになって這って進むという決断をしました。
引用:https://brandnew-s.com/2018/10/22/iiddarei/
膝が痛いとか言うとられん。
この選手は、脚を骨折し両膝から血を流しながら、這いつくばって仲間に襷を繋いだ。#自分に負けない #岩谷産業 #飯田怜選手 pic.twitter.com/loT8o4eBDc— 坂田 (@himuka_0425) January 22, 2019
この時の転倒の原因が、右の脛にある脛骨が真っ二つに折れて骨折していたことでした。
全治3ヶ月もの重傷だったそうです。
この飯田選手の必死に襷を繋ごうとする姿勢は、根性と執念に感動したという声が挙がった一方、無理矢理にでも止めるべきだったという声も多く挙がり、賛否両論の問題となって最終的には陸上競技や駅伝という枠を超えた社会問題にまで沸き上がったほどでした。
尚、この時の状況について、大会関係者から監督室に連絡が入った際、監督の廣瀬永和氏としては途中棄権をすることを伝えていたと言います。
しかしながら、この2018年の大会が岩谷産業としてはプリンセス駅伝初出場ということもあり、飯田選手は自分のところでレースを中断させるわけにはいかず、審判に対して「行く」という意思を表明しました。
廣瀬氏は、かつてグローバリー株式会社時代にコーチとして、後にアテネオリンピックで金メダルを獲得する選手にもなった野口みずきさんを育てた名指導者であり、チームの結果よりも、まだ若い飯田選手の将来を考えて、それでも止めて欲しいという意思は示しておりましたが、結果的にはそれが適切な形で伝わらずに、レースが進んでしまったということになります。
飯田怜の手術とリハビリを経た現在は?
飯田選手はプリンセス駅伝で転倒した直後、福岡県内の病院に入院して診断を受けた後、チームが拠点を置く大阪府内の病院に転院して修復手術を受けることが発表されましたが、結果的に、10月下旬に京都府内の病院で、脛骨の両側をプレートで固定する手術を受けました。
この後、歩けるまでは割りと早く、12月上旬には走るためのリハビリを始めたというニュースが流れましたが、そこから走れるようになるのに、想像以上の時間を要したと言います。
この走れない時間は飯田選手にとっては非常に辛いものだったと言いますが、それでもファンからの応援のメッセージ、中には直筆で書かれた手紙もあり、それによって励まされ、リハビリ生活を続けられたとのことです。
それに加え、飯田選手は、飯田選手から襷を受けて3区を走った今田麻里江選手からも大きな励ましを受けました。
今田選手とは9つ年が離れておりますが、普段からお姉さんのように慕っており、その今田選手が12月の埼玉国際マラソンでは日本人トップになる活躍を見せました。
引用:https://www.jiji.com/jc/article?k=2018121100727&g=spo
テレビでこの様子を見ていた飯田選手は、その様子に感動し、改めてリハビリを頑張ることを決意します。
そして手術から約4ヶ月後の2月1日には病院内で一般の人の歩行速度歩よりも遅いスピードではありますが、手術後初めて走ることが出来るまでに回復します。2月19日にはそのスピードを多少上げられるようになり、右足だけで屈伸が出来る程にまでになりました。
そして遂に、手術から約7ヶ月後の5月には、チームの練習にも復帰しました。
引用:https://running.iwatani.co.jp/blog/793/
その後も、足の状態には大きな問題は無く、現在は以前のスピードを取り戻すべく、練習に励んでいます。
まとめ
飯田怜選手について紹介させて頂きました。
プリンセス駅伝の最後の200mについて、飯田選手は這って進んでいる時には痛みは全く無かったと話しており、陸上競技の長距離競技者の襷に掛ける思いと、襷によって生み出される力の大きさが改めてよくわかります。
引用:https://running.iwatani.co.jp/blog/649/
プリンセス駅伝後、まだレースには復帰できていませんが、またレースで飯田選手を見られることを楽しみにしたいですね。