2006年のIAAFグランプリ大阪大会の1500mにおいて、高校3年生ながら4’07”86の日本新記録をマークする等の活躍で「スーパー女子高生」とも呼ばれた小林祐梨子さん。
その後も北京オリンピックの日本代表やアジア大会のメダル獲得等で注目を集めました。
2014年度限りで現役を引退しましたが、13年が経った今も尚、この記録は破られていないことから、如何にスゴい記録だったのかがわかります。
今回は、そんな小林さんについて、現在の活動の様子を紹介すると共に、結婚したお相手の旦那さんと見られている坂田拓也さんに関する情報、またかわいいと話題の画像についてもご紹介していきます。
この記事で綴られていること
小林祐梨子の現在!ゲストランナーや解説者として幅広く活躍!
小林さんは2015年1月に、その年度限りでの引退を発表しました。
しかし、現在も、表舞台に立ち続けています。
その中でも最も主要な活動となっているのがゲストランナーとしての活動です。
引用元:https://kobayuri.com/
現役を引退後は、実業団所属時代に拠点を置いていた愛知県からご主人の出身地である加古川市に移住しているということもあり、関西からの依頼が多いということではありますが、「依頼は全国どこでも可」としていることもあり、他のエリアにも多数足を運んでいます。
そして、関西人特有の明るさと元気の良さで会場では非常に人気を集めています。
引用元:https://rongkk.com/kakogawa-kanko-taishi-kobayashi-yuriko/
日本記録保持者やオリンピック出場という程の実績ある人ならば、少し近寄りがたい感じがあっても、それも止むを得ないと考えてしまいがちですが、小林さんに関しては決してそんなことはなく、ランナーや来場者との交流を非常に楽しんでいます。
引用元:https://twitter.com/
多くの人に写真を撮って欲しいと頼まれても嫌な顔を全くせずに、誰と撮る際にも笑顔プラスポーズ付きで、サインにも時間が許す限り応じます。
それだけでなく、もじもじしている小学生には自分から「写真撮ろう」と声をかけたり、ステージ上でステージ下からサインを求められれば、わざわざ膝をついてまで書くような腰の低さも見られます。
そこまでファンサービスをしてくれるからこそ、あらゆる主催者が呼びたくなるのでしょう。
その他には、駅伝を始めとした解説者としての活動もあらゆる大会で行っています。
特に、毎年1月に京都で行われる都道府県対抗女子駅伝では解説者としてすっかり定着しました。
引用元:https://newspicks.com/news/3592169/
この大会には小林さん自身が11度もの出場経験があり、熟知しているということもあってかとは思いますが、非常にわかりやすいと好評です。
ゲストランナーの時とは違い、落ち着いた声のトーンで、選手目線の的確な解説をしており、しゃべりすぎず出しゃばらないけども、必要なことを非陸上競技者でもわかりやすい言葉で解説をする姿が見られます。
ちなみに、小林さんは須磨学園高校時代には陸上競技でも輝かしい実績を挙げていましたが、その一方で国立大学を目指す特別進学コースに入っていて、片道2時間弱の電車通学の間に全ての勉強を終わらせていた程という頭の回転の良さも持っています。
そういった部分もその場その場で適切な解説ができる理由になっているのかもしれません。
引用元:https://kobayuri.com/
その他の活動としては、多数の講演会や加古川市の少年院「播磨学園」での算数の指導も行っています。
小林さんは高校卒業後には実業団である豊田自動織機への入社しており、大会への出場の際の所属は会社の名前だったためにあまり知られていませんが、社内留学制度で岡山大学へ入学して大学へも通っていました。
引用元:https://www.okayama-u.ac.jp/tp/news/news_id5099.html
この間、「勤務実態が無い」との理由で実業団登録を受け付けられず、実業団連盟が主催する大会には4年間出場が出来ませんでした。
その間には、多くの苦労や挫折を味わい、講義が忙しい時期には一人で練習を組み立てたり、することもありました。
そういった経験を基に、官公庁や一般企業、学校やPTA、更には一般向け等に対して、様々なテーマで講演を行っています。
引用元:https://rongkk.com/kakogawa-kobayashiyuriko-kosodatekoenkai/
また、岡山大学時代には教育学部のマッチングプログラムコースに所属して、高校の数学の免許を実際に取得しており、卒業時は首席の成績でした。
元々教員志望だった時期もあり、そういう意味でも子供達への指導というのも性に合っているのでしょう。
小林祐梨子の結婚した旦那は誰?複数の情報により坂田拓也さんがほぼ確実!
小林さんは引退後の2015年12月7日に結婚をされました。
お相手の名前については小林さんから直接公表されることはありませんでしたが、報道された複数の関連情報から恐らく坂田拓也さんで間違い無いと考えられます。
引用元:https://xn--u9jy52gltav7f8xcw4q5taq17llk1atvdtn3eqoa.com/2018/12/28/post-11915/
その関連情報となるのが
というものです。
西脇工業高校は兵庫県にある全国でも屈指の長距離の強豪校であり、全国高校駅伝でも複数回の入賞経験がある学校です。
引用元:https://ameblo.jp/nth-2801/entry-12576006202.html
そして、小林さんが高校生だった間にも2004年(1年時)と2006年(3年時)に出場を果たしています。
2004年のメンバーを見てみると、1年生で全国高校駅伝を走った人はいませんでした。
その2006年のメンバーのうち、小林さんと同級生であるのが1区の谷野琢弥さん、2区の坂田拓也さん、5区の新庄浩太さん、6区の石田信さん、7区の山本啓八さんの5人となります。
引用元:https://plaza.rakuten.co.jp/ogomori1/diary/200611120001/
2015年時点では、このうちの1区の谷野さんはNTN陸上競技部の長距離ブロックのマネージャー、5区の新庄さんはNTT西日本で実業団ランナーとして活躍していたことから、この2人ではないことがわかります。
また更なる情報としてあるのが
という情報です。
残る3人のうちの6区の石田さんは福岡県の中学を、7区の山本さんは滋賀県の中学を卒業していることからこの2人の可能性も低く、消去法からお相手は坂田拓也さんで間違い無いでしょう。
この坂田さんと初めて出会ったのは、小野市立旭丘中学校2年生の時に出場した2002年の第29回全日本中学校陸上競技選手権大会京都大会でのことでした。
この大会で小林さんは800mと1500mに出場していましたが、その時に加古川市立山手中学校に通っていて同じように800mと1500mに出場していた坂田さんが激励をしたと言います。
この効果もあってか、小林さんは見事に決勝に進出して、決勝では2年生で唯一の入賞となる5位に入りました。
このことがきっかけとなってこの大会直後から交際を開始、互いに強豪校に通いながらもその後も交際をし続け、およそ13年半にもなる長い期間を経てのゴールインとなりました。
引用元:https://www.facebook.com/
そして、2017年5月17日の深夜の0時18分に第一子となる長男を出産しました。
小林祐梨子がかわいい!画像はこちら!
小林祐梨子さんは2020年で32歳となりますが、年齢以上に若々しく見えてかわいいという声も多く聞かれます。
そんな小林さんの画像を幾つか紹介していきましょう。
引用元:https://kobayuri.com/
こちらは自身の公式ホームページでも使われている画像です。
小林さんの明るさと黄色いTシャツがよくお似合いでかわいいですね。
引用元:https://kobayuri.com/
こちらはいずれもゲストランナーとして大会に出演した際の写真です。
高校時代は男性勝りの短髪が特徴的でしたが、現在はポニーテールに髪を束ねた姿がよく見られるようになりました。
そして、大会の盛り上げ役という自身の立場を理解されてか、明るめのウェアを着ているが多いようにも感じます。
それがまた可愛さを引き立てます。
引用元:https://kobayuri.com/
こちらは小林さんの人柄が最も良く伝わる写真かもしれません。
楽しさを身体全体で表現していると言っても良いでしょう。
引用元:https://kobayuri.com/
引用元:http://oobe-chiiki.server-shared.com/seisyounen.html
引用元:https://www.sankei.com/west/news/150831/wst1508310009-n1.html
一方でこちらは講演の際の写真です。
陸上競技関係とは異なり、非常に引き締まった印象が見られます。
現役時代からは想像が付かないところもありますが、何かを伝えようとする目力の強さは現役時代と重なる部分もありますね
まとめ
以上が小林さんの紹介でした。
輝かしい実績ばかりが目立つ小林さんですが、小学校時代に毎年正月に出ていた「いなみ新春万葉マラソン」では6年生まで30位台ばかりだったと言います。
それでも小学校6年生の2000年にシドニーオリンピックで日本人女子として初めてマラソンで金メダルを獲った高橋尚子さんに憧れて小学校の卒業アルバムに書いた
八年後、二十歳でオリンピックの舞台に立ちたい
という夢を有言実行させたことは多くの子供達にとって非常に希望を与えられるエピソードと言えるでしょう。
引用元:https://twitter.com/
これからも沢山の場面で活躍をしてほしいものですね。