プロゴルファーの諸見里しのぶ選手は現在33歳。
昨年末に「ツアープロとしての第一線を退く」と”引退”ともとれる宣言をし、プロゴルファーとして次のステージに進むことを決めていた彼女でしたが、現在の新型コロナウイルス感染拡大という事態に於いて、女子ツアーの中止もやむなく、東京の自宅で過ごしているそうです。
予定では3月5~8日に故郷沖縄で開催されるダイキン・オーキッド・レディースに出場し、その後はテレビ解説者として、またその知識を活かしてコースセッティングなどの新たな分野でお仕事をするはずでしたが、今は“待機”の日々です。
そんな諸見里しのぶ選手の過去の貧乏秘話や結婚観、そして元師匠の江連忠氏との関係などについて調べてみました。
この記事で綴られていること
諸見里しのぶプロフィール
引用元:https://www.alba.co.jp/tour/players/00205
名前 : 諸見里しのぶ
生年月日 : 1986年7月16日(33歳)
身長 : 160㎝
体重 : 60㎏
出身地 : 沖縄県名護市
プロ転向 : 2005年
所属 : ダイキン工業
戦績 : 初優勝 SANKYOレディースオープン
優勝回数 日本女子9回
世界ランク最高位 17位(2009年)
賞金ランク最高位 日本女子2位(2009年)
諸見里しのぶに“引退”の意思無し!?
もともと、諸見里しのぶ選手はこの10年ほどはアレルギー(重度の花粉症とのこと)や肋骨の炎症などの激痛に悩まされていたといわれています。
そのストレスと戦いながらのツアー参戦の日々で、成績が低迷した時期もありましたが、その状況を隠すこともなく、休養しながらも競技を続けるストイックな姿に強いプロ意識を感じます。
引用元:https://www.daily.co.jp/golf/2015/11/21/0008583486.shtml
そうした不調な時期を心配するファンも多いですが、ご本人は
「日本女子プロ選手権だけは60歳まで出場したい」
という希望を述べています。
昨年末に「ツアー参戦の第一線を退きます」という宣言はありましたが、競技生活から完全に引退するつもりはないのだと明言しています。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/byline/kimmyungwook/20191121-00151783/
現に、コロナ禍の影響で中止になってしまったものの、今年三月のダイキン・オーキッド・レディースにもエントリーしていました。
諸見里しのぶは結婚してる?
諸見里しのぶ選手は現在33歳。
“恋”の噂もありましたが、ご結婚はまだされていません。
2年前の、敬愛する先輩の宮里藍さんのご結婚に際して“理想”だというコメントを残しています。
「20代にゴルフを頑張って、結婚してこれからの人生がある」というその生き方をリスペクトしています。
恋愛や結婚に対しては前向きな姿勢を示しており、相手を「新聞で募集して欲しい」といっていたこともあるほどです。
宮里選手に続く結婚発表も、そのうちに聞くことが出来るかもしれません。
諸見里しのぶが昔は貧乏だった?という話
沖縄県名護市で生まれ、中学時代までを過ごしていた自宅は小さいお家だったそうです。
沖縄の経済事情ともいえますが、平均所得が低く、本土と比較すれば低所得層の所謂「貧乏」的な家庭が多いと聞きます。
諸見里選手のご実家もそうだったようですね。
ゴルフはお金がかかる競技で、学生時代、アマチュアの頃には遠征するための旅費や高速代を工面するために、いろいろと工夫していたのだとか。
ゴルフ場のクラブハウスで食事をするのは高いので、節約のためにコンビニのパンを持って行ったらカラスに取られたという逸話も。
プロとして活躍するようになって賞金ランキングにも名前が載るようになり、地元の名護市の福祉や災害の被災地に義援金や寄付を行ってきたこと。
長らく拠点にしていた神戸や現在お住まいの東京から試合が開催されるゴルフ場に向かう時に、昔はキャリーバッグを背負い、スーツケースを引きずって電車や飛行機を乗り継いでいたという経験を経て、今では宅配便で荷物を送り、グリーン車も使えて、身軽に移動できるようになったことがとても幸せだ、というお話をしていました。
引用元:http://oceangolfclub.blogspot.com/2011/08/blog-post.html
相当な苦労の末に得たキャリアです。
慎ましくその喜びを語るところが、諸見里選手らしくて素敵ですね。
諸見里しのぶの元師匠・江連忠は恋人だった?
諸見里選手の師匠は多くの優秀なプロゴルファーを育ててきた江連忠(えづれただし)氏です。
引用元:https://www.alba.co.jp/tour/players/00096
片山晋呉選手や堀奈津佳選手ら、名だたる名選手を育ててきた“プロゴルファー育成”のプロ。
諸見里選手もプロ転向当時から教えを請い、めきめきとその力を伸ばしていきました。
下半身の強化により繰り出される彼女のスイングの安定感、美しさと正確さは師匠直伝のテクニックです。
デビューして数年、諸見里選手と江連氏は蜜月ともいうべき時期をすごしていました。
試合会場でもキャディとして同行している江連氏が目撃されており、その様子は傍目から見ても親密だったと言われています。
引用元:https://news.golfdigest.co.jp/news/gdoeye/jlpga/article/12345/1/
師弟関係を超えて、まるで恋人同士のようであったと噂になりました。
実際、交際していてもおかしくない状況でした。
しかし不調が重なり、思うように勝てなくなってきた時期に、彼女は大きな決断をしました。
高校を卒業して以来、ずっと江連氏の主催するTEAM江連、そして六甲国際ゴルフ倶楽部のETGA(江連忠ゴルフアカデミー)の中で、江連氏やそのスタッフ、周囲に安心して甘えられる環境にいたことに気付いたのだそうです。
引用元:https://news.golfdigest.co.jp/news/interviewcolumn/article/86445/1/
そこで長らく馴染んだ神戸から離れ、東京へと拠点を移しました。
その時、諸見里選手はまだ27歳。
ゴルフのキャリアにとっても、人生にとっても、大切な転機になりました。
まとめ
日本中が息をひそめるようにして過ごしているこの春。
諸見里選手も例外ではありません。
ダイキン・オーキッド・レディースが中止になったことで、滞在していた故郷・沖縄から東京に戻り、この一か月は不要不急の外出以外はずっと自宅で過ごしているようです。
思い出すのは東日本大震災の頃のこと。
今回はそれを上回る混乱が世界中で起きており、試合だけでなく、生活の見通しも立ちません。
仲間や友人らと楽しく過ごしたり、切磋琢磨する時間の大切さを改めて痛感しているという彼女は、来春にはこの状況が落ち着いていること、そしてダイキン・オーキッド・レディースが開催されることを願い、出場することを熱望しています。