~今回は1970年大阪万博の経済効果や出展技術についての振り返りです~
こんにちは!らいふれんどです。
前回、前々回とご紹介しましたが、2025年に大阪での万博博覧会開催が決定しました。
これに遡ること55年前となる1970年。同じ大阪府の千里丘陵で万博が開催されているのは今更言うまでもないのですが、今回は当時の大阪万博を改めて振り返ってみたいと思います。
岡本太郎さんの「太陽の塔」をシンボルとして、当時の大阪万博に来場した人達は出展された技術や食文化にかなり衝撃を受けたそうですね。
1970年の大阪万博はどんなものだったか!?テーマや経済効果、出展された革新技術やモノなどをご紹介します。
交通インフラ整備や入場者数がもたらした計り知れない経済効果とは!?
1970年の大阪万博は千里丘陵で行われ、現在は「日本万国博覧会記念公園」として残されています。
万博開幕までに会場周辺の道路や鉄道など整備がなされ、今の大阪の交通インフラが出来上がったと言われています。
開催スケジュールは1970年3月15日から9月13日までで、日本、アジアで初の国際博覧会でした。
テーマは「人類の進歩と調和」というものでした。
2025年は「いのち輝く未来社会のデザイン」なので、当時の方がシンプルな感じがしますが1970年の大阪万博のは国際博覧会としては史上初の黒字収益だったそうです。
それだけみなさんが興味を持っていたということがわかりますね。
1970年の大阪万博の入場者数は最終的に約6421万人で2010年の上海万博の約7308万人という記録まで抜かれなかったようです。
2025年の大阪万博の想定来場者数は約2800万人と算出されているので1970年と比べると少ないような気がしますね。
ところが2005年の愛知万博は 約2200万人、2015年のミラノ万博は約2220万人だったので、1970年の大阪万博や上海万博は群を抜いて入場者数が多かったということがわかります。
とにもかくにも、当時の大阪府にもたらした経済効果は色々な意味で計り知れないものであったと言えますね。
注目さたパビリオンは?
1970年の大阪万博に参加した国・地域・国際機関は合計77カ国でした。
国際機関では国際連合や、OECD( 経済協力開発機構)などで地域としては当時のイギリス領であった香港やアメリカのワシントン州やハワイ州などが参加しました。
パビリオンは国際館が57と企業館が30、その他が 8となっていました。
人気だったのはアメリカ館にあったアポロ12号が持ち帰った「月の石」で、見るために何時間も待つ行列ができたそうです。
パビリオン別の入場者数で言うと1位はソ連館、今のロシアで約2800万人、 2位はカナダ館で約2500万人、3位がアメリカ館で約1650万人となっています。
ソ連館は 実物の宇宙船が展示されていたそうです。
アメリカ館とソ連館から考えるとみなさん宇宙に興味があったようですね。
企業館として人気だったのが三菱未来館で入場者数は約1150万人、 「日本の自然と夢」をテーマに 火山活動や未来の海底牧場など360度の迫力ある映像が 話題となりました。
それを手がけたのがウルトラマンで有名な円谷プロの初代社長である円谷英二さんと東宝の特撮スタッフだったそうです。
出展された技術やモノは?
大阪万博は国や企業が文化や技術を紹介する場でもありました。
そのため様々なモノが紹介され、普及しています。
どんなものがあったのか見ていきましょう。
ゲームセンターではおなじみのクレーンゲームの原型は1970年の大阪万博では古川グループパビリオンにおいて「コンピューターハンドゲーム」として紹介されていました。
すでに1970年にあったというのは驚きですよね。
今の世の中で普及してるようなモノはこの頃から結構、技術開発が始まっていました。
他にも温水洗浄便座やワイヤレスフォンなども紹介されていたんです。
現在では温水洗浄便座は日本の一般家庭での普及率が70%を超えているそうです。
ワイヤレスフォンは今で言う携帯電話で、こちらは現在の普及率181%だそうです。
もちろん、どれも今の形と比べるとあまりカッコ良くないかもしれませんがすごいですよね。
大阪万博は食文化の普及にも貢献していました。
缶コーヒーは1969年に開発・販売がされていましたが現在のようなネット環境もなくイマイチ売上が良くなかったのですが大阪万博内の飲食店やパビリオンに売り込みをかけたところ、暑い夏頃にはヒットして生産が追いつかないほどになったそうです。
他にもフライドチキンやピザなどのファストフード店やファミリーレストランなども1970年の大阪万博でお披露目されて普及していったそうです。
普及途中のものもあって、代表的なのがリニアモーターカー、日本館で紹介されていました。
2027年にリニア中央新幹線は出来るので待ち遠しいですね。
サンヨー館では人間洗濯機なるものも展示されていました。
これは人が機械に入ると自動で洗浄してくれるというものなのですが、現在では進化を遂げて介護用の浴槽として普及しつつあるそうです。
テーマの「人類の進歩と調和」は一歩ずつですが進んでいるようですね。
まとめ
1970年大阪の万博についてテーマやスケジュールと共にいろいろとご紹介しましたがいかがでしたでしょうか。
当時の日本は高度経済成長を経て、アメリカに次ぐ経済大国となりつつあったようで暮らしも豊かになってきてみなさん、新しいモノへの好奇心が旺盛だったのかもしれませんね。
大成功を収めた1970年の大阪万博は2025年へと引き継がれて行きます。
アッと驚くような次回の大阪万博に期待しましょう!