木村文子の陸上(ハードル)の戦歴がすごい!高校・大学からエディオン在籍の現在まで

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横浜国立大学在籍時代から、才色兼備のアスリートとして注目を集めていたのが、女子100mハードルの木村文子選手です。

1988年生まれで今シーズン31歳を迎えますが、競技力、そして美しさ共に全く衰えることなく、美人ハードラーとして人気を集めています。

今回はそんな木村選手の陸上競技との出会いから、ハードルへの専念理由、そして高校~大学~社会人(エディオン)現在までに残してきた輝かしい戦歴について、みっちりとご紹介しようと思います。

これを読めば、木村文子の競技人生の全てがわかると言ってもいいでしょう!




木村文子の陸上競技との奇跡的な出会い もし、あの日〇〇だったら…

まずは、木村文子選手の陸上競技との出会いのエピソードから書いていきたいと思います。

可部南小学校4年生の夏のこと、バレーボールをやりたくて、学校の練習会を見学に行ったところ、その日はたまたまバレーボールの練習が休みで、代わりにグラウンドで行われていたのが陸上競技の練習会でした。

「せっかく来たんだから試にちょっとやってみようか」と思い、そこに参加したことが陸上競技を始めたきっかけとなります。

木村さんの競技能力の高さは小学生時代から群を抜いていたといいますが、そこでは、陸上競技を長年指導してきた、当時の教諭である灰原利彦さん(現・広島陸上競技協会庶務係)の指導の下でぐんぐん力を付けていきます。

その年の広島市の陸上大会で、灰原さんから「決勝に出られたら、スパイクを履かせてあげる」と言われ発奮。見事に決勝に進出し、予選よりも圧倒的に速いタイムを出して優勝したといいます。

引用:https://4years.asahi.com/article/11975761

そして木村さんの競技の幅が広がったのが5、6年生の時。

現在と同様少女時代からスタイルが良かったせいか、「100mでは身体が細すぎて勝てないかもしれない」という理由で、走幅跳を選択。ここでも優勝を果たすと、6年生の時には80mハードルにおいて優勝し、見事に全国小学生陸上競技交流大会にも出場を果たしました。

その後、中学へ進学しますが、その際も元々興味を持っていたバレーボールへの情熱が冷めやらずバレーをやるつもりだったそうですが、陸上競技で全国大会に出場するまでの力を付けたのに「辞めてしまうのは勿体無い」と思い直し、陸上競技を選択したと言います。

スポーツ界において、運命や偶然は大事な要素と言われますが、小4の夏のあの日あの時、もし、予定通りにバレーボールの練習が行われていたとしたら、また、もし、出会った指導者が灰原さんのように優れた方でなく、全国大会に出られる程の力を付けられていなかったとしたら、木村さんは恐らくバレーボールをやっていたのではないでしょうか。

木村文子ハードル種目への特化。でも得意としていた種目は違っていた!?

木村さんは社会人になった今でこそ、ハードル界では欠かせない人物ですが、ずっとハードル一本で力を伸ばし続けていたわけではありませんでした。

その木村さんがハードル以外に力を入れていた種目が走幅跳です。こちらの種目も小学校時代から取り組んでいて、中学3年生の時に出場した全国中学校陸上競技選手権も走幅跳での出場です。

高校時代にもインターハイで優勝を果たした種目はハードルではなく走幅跳と、どちらかと言えば、ハードというよりもむしろ走幅跳の選手でした。実際に、ジュニア時代に憧れだったアスリートは、当時、花岡麻帆さんと共に、日本の走幅跳種目を牽引していたトップアスリートの井村久美子(旧姓・池田)さんであり、中学時代に織田幹雄記念陸上で初めて会った時にはサインをもらい、そのサインは今も実家に大切に保管してあると言います。

その木村さんが現在の専門種目である100mハードルに集中するようになったのは、エディオン入社後の実業団1年目に臨んだ2011年11月の山口国体で優勝したことがきっかけでした。

この時のタイムが13”19という自己ベストで、これは翌年の2012年のロンドンオリンピックのB標準記録の13”15という記録まであとわずかに迫るものでした。一方の走幅跳のB標準記録は6m65と、木村さんの自己ベストである6m17からは、まだ50cm程度足りませんでした。

100mハードルではあと0”04ですが、木村さんぐらいの高いレベルの競技者になると、100mぐらいの距離では0”01伸ばすことも簡単ではありません。しかも、この時、翌年の夏のオリンピックまではもう1年もないという状況でした。

それでも、オリンピック出場が視野に入ってきたのは事実であり、ハードル一本に絞れば、可能性があるかもしれないと考えた木村さんは、この時にハードル競技への専念を決めました。そして、翌年、標準記録を突破し、見事にロンドンオリンピックへの出場を決めました。

木村文子の高校時代。3年連続インターハイ出場!日本一へ!

小、中学校時代から全国大会に出る程の実力者だった木村さんが進学した高校広島県立祇園北高校でしたが、高校進学後は走幅跳に比べ、100mハードルでも結果を出せるようになります。

というのも、そもそも木村さんが中学時代にあまりハードルで結果を出せなかったのには、明確な理由がありました。

木村さんは現在168cmと女性にしてはかなりの高長身ですが、中学生時代から身長が高く、中学生用の高さ76.2cm、ハードル間8.0mというジュニアハードルを窮屈に感じて跳びにくかったと言います。

そして、高校進学後、高さ84cm、ハードル間8.5mの一般用のハードルに変わったことで本領を発揮できるようになりました。

引用:https://4years.asahi.com/article/11973402

インターハイに繋がる1年時の広島県高校総体を優勝すると、最終的には、ハードルに加え、走幅跳でもインターハイ出場を決めます。

2年時の広島県高校総体でも100mハードルにおいて、追い風2.0mという好条件の中、14”18という大会記録を更新しての優勝を果たしましたが、この年は、100mハードルは全国ランキングトップで、走幅跳も中国大会を制覇するなど大いに活躍が期待されプレッシャーもあったのか、全国レベルの大会では全く活躍できませんでした。

そして迎えた翌年の3年時、広島県高校総体の100mハードルでは危なげなく優勝し、まずは中国大会への出場を果たします。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

この年の中国大会の100mハードルは、前年高校ランキングトップの記録をマークし広島県大会を制した木村さんの他に、大会新記録にて島根県大会を制した松江北高校の中山ゆかりさんと、同じく大会新記録で岡山県大会を制した岡山東商業高校の阿部麻奈美さんとが三つ巴で激突するという非常にハイレベルな大会でした。

木村さんはこの100mハードルで3位に敗れますが、この年は走幅跳で5m84cmという記録で中国大会連覇を達成し、100mでも12”37で2位と、3種目でのインターハイ出場を決めました。

この中国大会での結果から、走幅跳であれば、全国制覇のチャンスがあると踏んだことで走幅跳を集中的に練習してインターハイ本線に調子の波を合わせます。

そして見事に5m93という記録でインターハイを制覇。遂に高校日本一の称号を獲得しました。




木村文子の大学時代。日本学生選手権で大回記録の優勝!

インターハイで優勝した高校生トップアスリートですので、たくさんの陸上強豪大学からお声が掛かったのですたが、木村さんが選んだ進学先は横浜国立大学でした。

横浜国立大学の陸上競技部には、顧問として日本陸連強化委員跳躍部長で日本代表コーチを歴任している伊藤信之さんがいるものの、陸上部自体がそこまで強豪とは言えません。

なのに、木村さんが横浜国立大学を選んだ理由は、将来高校教師になるという夢を叶えるために教員免許が取得出来るということ。そして、指導者が鍛え上げるのではなく、学生の自主性を重んじ、学生自身が主体となって練習メニューを考え部を運営する、という大学の方針が自身に合っていると考えたからだと言います。

木村さんは中学時代にも、途中から外部指導コーチの指導を受けましたが、中学入学当初は陸上競技専門の指導者がいない中、学生主体で練習を行っており、その時の経験もあり、自主性を重んじる横浜国立大学の方針に共感したと言えるでしょう。

引用:https://4years.asahi.com/article/11973402

大学進学後は、ますます陸上一色の生活となった木村さんですが、1年生時の関東インカレでは、100mハードルは準決勝で敗退し走幅跳も7位。2年生時の関東インカレでも100mハードルは7位に終わり、走幅跳では4位で入賞を果たし日本選手権に初出場するも予選落ちと、けして満足いくスタートは切れませんでした。

しかし、3年生になって実力を発揮します。地元の広島で開催された日本選手権で社会人に混じってのレースながら、13”76の自己ベストを更新する走りで準決勝進出を果たすと、全日本インカレでは1位に6/100秒という僅差で2位に入りました。

更に4年生時には、関東インカレの100mハードルで優勝、走幅跳で2位という優秀な成績を残して日本選手権に臨むと、学生トップの4位に入賞、更に秋の天皇賜盃第79回日本学生選手権では13”28という大会新記録での優勝という結果を残しました。尚、この記録は当時の学生記録まで0”02に迫り、かつ日本歴代でも9位(当時)という素晴らしいものでした。

前述のように、木村さんの大学時代の目標は教員になることであり、事実教育実習も行っていました。

しかしながら、この大学時代の活躍、特に4年時の日本選手権で実業団の3人に次ぐ4位に入ったことで、「自分も実業団に入れば違った景色が見えるかもしれない」という思いを持つようになったといいます。

そして、実習先の校長先生の「誰もが経験できることじゃないから、やってからでも遅くはない」という言葉も背中を押し、教員になる夢はひとまずおいて、まずは「アスリートとして生きる」ことを決心したのです

木村文子エディオン入社!オリンピックにも出場!

実業団入りを決めた木村さんが選んだ入社先はエディオンでした。

今でこそ陸上競技のトラックの短距離種目は、東京オリンピックに向け盛り上がりを見せていますが、当時はそのようなこともなく、関東には世界の舞台での活躍がない女子ハードルの競技者に声をかける企業はありませんでした。

他の地域に行くという選択肢を模索するにあたり、一つの目標に向かって部員皆で考えて取り組み、結果を出してきた横浜国立大学の4年間の経験から、「一人で戦うのは自分に合っていないな」、と感じていたということです。

その中で、地元の広島に女子陸上競技部の拠点があり、木村さん自身が、社会貢献に積極的な会社というイメージがあった企業がエディオンでした。更に、「地元のために」「応援してくださる地域の方々のため」という思いをより強く持てる環境であれば、競技へのモチベーションを高く維持できるのでは、と考えてのエディオンへの入社を決意しました。

そして、木村さんは入社1年目から結果を出します。6月の第95回日本選手権100mハードルを13”32の記録で制して大会初優勝を飾ると、7月に神戸で行なわれた第19回アジア陸上競技選手権の100mハードルに日本代表として出場し、4位に入賞します。

秋になっても勢いは止まらず、9月に行われた第59回全日本実業団対抗陸上競技選手権の100mハードルでも優勝すると、10月の第66回国民体育大会成年女子100mハードルも自己新記録となる13”19の記録で制するなど好結果を残し続けました。

前述のように、この結果により、100mハードルへの専念を決意します。そして、エディオンでの身分も、一般社員からプロ契約に切り替わって臨んだオリンピックイヤーの2012年、4月の織田記念陸上で、当時日本歴代3位に当たる13”04の自己ベストを記録して優勝し、オリンピックの最低限の資格となるB標準を突破しました。

更に、6月の日本選手権では日本記録より速いA標準の12”96を突破して優勝するシナリオを描いていたそうですが、連覇は果たしたものの記録は13”25とA標準に遠く及ばずで、即内定とはならず。

結果として、後の選考でオリンピック出場は決めますが、それまで木村さんが日本代表として走った経験は社会人1年目のアジア選手権のみで、世界の舞台はロンドンオリンピックが初めてでした。

しかも、A標準も突破していないことから、世界の舞台で戦える証明もできておらず、たまたま選ばれたとも感じており、「自分で良いのか?」という思いがずっとあったと言います。

そして、臨んだロンドンオリンピックの舞台。スタートのフライングもあり7人で行われた予選のレースで、木村さんは後半に2台のハードルを倒す等、思い通りのレースが出来ず、組最下位の7着、記録も13”75という低調なものになり、涙を浮かべながらトラックを後にしました。




木村文子いざ東京オリンピックへ!アジア女王&世界陸上での快挙!

オリンピックはもちろん4年に一度ですが、木村さんはこのロンドンオリンピックについて、「4年の半分の2年しかかけずに出場出来てしまった」と感じていたといい、「これから、次のオリンピックに向けて、もう4年頑張れるのか?」との不安も覚えていたといいます。

それでも、気を取り直し、翌年の2013年には日本選手権で13”03と自己ベストを更新すると、7月にインドのプネーで開催された第20回アジア陸上競技選手権で優勝し、アジア女王に輝きました。

2014年には3度目の日本選手権優勝を果たすと、秋の仁川アジア大会で3位と順調に実績を積み上げていきました。

そして迎えたオリンピックイヤーの2016年、日本選手権優勝は果たしますが、標準記録を突破出来ず、なんと誰もが想像していなかったオリンピック出場を逃してしまいます。この結果に、さすがに一時は引退も考えた木村さんですが、何とか気持ちを踏みとどめ現役続行を決意します。

気持ち新たに迎えた翌2017年、インドのブバネーシュワルで行われた第22回アジア陸上競技選手権で2位、日本選手権を連覇で5度目の優勝を決め、初めての世界陸上への出場を決めます。この第16回世界陸上競技選手権の100mハードルで予選2組を13”15という記録で走り、4着に入り、準決勝進出を決めたのです。

世界陸上での女子の100mハードルで準決勝進出を果たしたのは、木村さんが日本人初であり、快挙と言って良いでしょう。

この年の世界陸上開催地はイギリスのロンドン。5年前、オリンピックで失意の涙を流した同じ地で、見事にリベンジを果たしたといえます。

更に、今年2019年シーズンも春先から好調で、カタールのドーハで行われた第23回アジア陸上競技選手権で13”13の記録で2度目の優勝を果たします。アジア選手権以降も13”1台を連発し、5月のゴールデングランプリ大阪ではシーズンベストを13”11に更新、6月2日の布勢スプリントでは追い風3.5mの参考記録ながら13”01を記録しています。

そして、記憶に新しい6月の日本選手権はアジア大会優勝の結果により、優勝すれば即世界陸上内定となる大事なレースでした。前年の優勝者である七十七銀行の青木益未さんや、準決勝で先着を許した寺田明日香さん等も決勝に進み、3位までが2/100”差のほぼ同着の大接戦でしたが、僅かな差で木村さんが先着し、6度目の優勝を果たし、世界陸上の代表入りを決めたのです。

引用:https://www.jaaf.or.jp/news/article/12959/

男性よりも体力の維持が難しい女性の競技者が、短距離種目において、30歳を超えて優勝という結果は快挙と言えるでしょう。自己ベスト自体は2013年の13”03を更新できておりませんが、ここ3年のシーズンベストは2017年が13”06、2018年が13”13、2019年が13”11と安定して高い記録を残しており、日本人初の12”台も十分に視界に捉えています。

木村さんは現在アメリカで練習を積んでおり、海外のレースに積極的に出場しています。東京オリンピック以降の出場要件には、従来の標準記録に加え、IAAFワールドランキングのポイントが高いことが重要となります。

このポイントは得点の高い上位5つの平均となることから、海外で定期的に出ている木村さんには非常に有利です。女子100mハードルの東京オリンピックの出場可能人数は40人で、標準記録を突破した競技者がこの人数に満たない場合、何よりも優先されるのが、IAAFワールドランキングです。

日本選手権を終える前の段階でも、木村さんは女子の100mハードルで21位、オリンピックには同一地域から3人までしか出場できないことから、同一国の4位以下の競技者を除くと16位であり、今後もコンスタントに記録を残せれば、東京オリンピック出場の可能性は高いと言えます。

まとめ

木村文子選手について、その戦績を中心にご紹介してきました。

「高校教員」という夢を封印し、プロアスリートとして陸上競技に臨み、秀逸な成績をコンスタントに長期間に渡って出し続けています。

現在は教員にそこまでの執着はないといいますが、小学生を対象にした陸上教室は木村さん自身、大好きなイベントと語っており、オフシーズンは月に2、3回呼ばれることもあると言います。

引用:https://www.edion.co.jp/athlete/info/20111030.html

競技を続けながら、次世代の育成にも積極的に取り組んでいる姿は非常に好感が持てますね。

日本が誇る美人ハードラー木村文子選手のこれからのますますの活躍に期待しましょう!




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